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80年前の日本とNZの関係 - ニュージーランドの視点から見る第二次世界大戦とは。

ュージーランドは世界的に見ても非常に平和で安全な国であり、また多くの国々からニュージーランドに移住する人がいるなど、グローバルかつ多様性が進んでいる国です。

当然、日本からも多くの観光客や長期滞在者がニュージーランドに訪れていますよね。しかし、日本ではあまり認知されていませんが、80年以上も前の第二次世界大戦中、ニュージーランドは日本の敵国であり、双方の兵士が捕虜の犠牲になったり、またニュージーランドの艦隊が神風特攻隊の標的であったなどど、悲しい歴史があることをご存知ですか?

この記事では、日本の敵国の1つであるニュージーランドの視点に立ち、戦時中の日本がニュージーランドにとってどのように脅威的な存在であり、またニュージーランドはどのように第二次世界大戦と向き合い、どのように戦争と関係したのかを記載しました。他国視点から第二次世界大戦を知る事で、平和について考えるきっかけにしていただけたら幸いです。

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第二次世界大戦前(20世紀前半)の状況

アジアの強国「日本」に対するニュージーランドの防衛

ニュージーランドは1841年にワイタンギ条約をイギリスと締結したことにより、イギリスの植民地となりました。

その一方で日本は、1900年代前半に日露戦争でロシア帝国に勝利したことにより、アジアの強国として世界にレッテルを貼られました。そんなアジアの強国「日本」は、ニュージーランドにとっても脅威的な存在であり、日本国を恐れていました。しかし、当時のニュージーランドには十分な防衛力が無かったため、国の防衛をイギリスに頼っていました。

そのためイギリスは第一次世界大戦後の1920年頃に、自国の植民地であるニュージーランドとさらにはオーストラリアを日本から守るために、当時同じくイギリスの植民地であったシンガポールに軍の基地を作りました。もし日本がニュージーランドとオーストラリアを攻めることがあった場合、シンガポールからこの2国を守る艦隊などが出港できるようにするためです。

当時の軍事国家であった日本は、遠く離れた国のニュージーランドにそのような影響を与えていたんですね、、、

日独伊三国同盟により、ニュージーランドを守る余裕が十分でなくなったイギリス

そして時が経過し1930年代後半になると、他の敵国であるイタリア・ドイツが日本との結束性を強めました(後の日独伊三国同盟による枢軸国)。そのためイギリスは、日本だけでなくさらにドイツとイタリアに対しても防衛する必要が出たため、ニュージーランドを守る余裕が十分に無い状況に陥りました。そんな中、1939年9月に第二次世界大戦が開戦しました。

日独伊三国同盟による枢軸国(日本・イタリア・ドイツ)と、連合国(アメリカ・イギリス・ソ連を中心とした多数国)との戦争の始まりです。

第二次世界大戦突入後(1940年代以降)

イギリス支援のために参戦したニュージーランド

ニュージーランドは迷うことなく、母国イギリスの支援のため、連合国として第二次世界大戦に参戦しました。そして参戦直後に当時のサベージ首相のラジオ演説が放送され、その内容は有名な物のようです。その1節がこちら。

「過去における感謝と未来における信頼をもって、我々は恐れることなくイギリスの傍に立ち、イギリスの思うところに我々も赴き、イギリスの立つところに我々も立つ。我々は小さく若い国に過ぎないが、我々は兄弟であり、心と意思を1つにして共通の運命にむかって前進する」

イギリスを慕うニュージーランドの立場と考えが表明されています。

そしてその後、ニュージーランド軍はヨーロッパへ出向き、別の連合国とともに、日本ではなく、ドイツとイタリアと戦う事になりました。

また、当時の日本国にとっては最大の敵であるアメリカに勝利することが一番の目的であったため、実のところは、軍事の弱小国であるニュージーランドの存在は薄く、連合国の1つであったものの、敵国として強く意識をしていなかったようです。そのため、ニュージーランド国内では日本からの直接的な空襲はなかったようです。その一方で、ニュージーランドは日本の脅威に対して敏感であったようで、また当然国民は貧しい生活を余儀なくされました。

そして、当時のニュージーランドの中には、ニュージーランド人であるけれどもイギリス軍に入隊し参戦していた兵士もいたそうです。母国イギリスに対する誇りを持っていた兵士もおり、志願して入隊した兵士もいたそうです。

日本の領土拡大に伴い、ニュージーランドの防衛力を失うイギリス

1941年に日本軍によるハワイの真珠湾攻撃をきっかけに、太平洋戦争が始まりました。

当時イギリスの植民地であった香港や、上記で記述した、ニュージーランドとオーストラリアを守るために艦隊を構えていたシンガポールさえも日本に占領されてしまったのです。

このころ他にも、フィリピンを含む多くの東南アジア諸国が日本の植民地となったことは、多くの日本人が知っている歴史ですよね。

その結果、イギリス軍は東南アジア近辺から撤退せざるを得ませんでした。つまり、イギリスがニュージーランドとオーストラリアを日本から守る手立てが無くなってしまったのです。

そのため、ニュージーランドは自国の防衛を同じ連合国であるアメリカに委ねるようになりました。当時アメリカも反日の拠点であったフィリピンを失ったため、代わりにニュージーランドを、日本へ反撃するための拠点としました。

また、当時日本はミクロネシアも占領していたため、ニュージーランドにとって、日本は地理的にも遠い存在で無くなってしまったのです。

そこで、ニュージーランド内ではアメリカ軍の基地が開設され、大量に米軍がニュージーランドに入国をし始めました。実際に「ガダルカナルの戦い」や「ソロモン諸島の海戦」ではニュージーランドは連合国の拠点となり、ニュージーランド軍もアメリカ軍とともに日本国と戦争をしました。

余談ですが、このソロモン諸島の海戦で実際に使用された零戦(零式艦上戦闘機)がオークランド博物館に展示されています。また、その零戦を実際に操縦した日本兵士についても紹介がされています。

日本領土への直接的な攻撃・ニュージーランドと日本軍の直接的な戦い

上述したように、ニュージーランド軍はアメリカ海軍空軍の1つとして機能したため、沖縄戦にも参戦し先島諸島への攻撃、岩手の釜石市の空襲に協力をしました。また、それだけでなく、日本の神風特攻隊に対する防衛としてGAMBIAという名の、ニュージーランドがイギリスから貸与された巨大な軽巡洋艦があり、GAMBIAは日本への防衛としてニュージーランド内で活躍しました。このGAMBIAは、釜石への攻撃にも参戦をしました。

また、双方の国の兵士が捕虜の犠牲になったという辛い歴史もあります。犠牲になったニュージーランド兵のお墓は横浜に、また日本兵のお墓がウェリントン近くの郊外にあるそうです。

原爆投下による第二次世界大戦の終結

広島と長崎に原爆が投下された後の1945年8月15日、日本の昭和天皇が降伏をし、第2次世界大戦は終結しました。オークランド博物館ではこの2つの原爆投下に関して「But for those who lived beyond that moment, the horror was long-lasted. Many in the Allied nations believed that the bombs hastened the end of the war. But the legacy of the bombing would be enduring physical, phychlogical, and social trauma(被爆の瞬間を経験し乗り越え生きた人々にとって、その恐怖は長く続いた。多くの連合国は、原爆投下は戦争の終結を促したと信じている。しかし、原爆ドーム等の被爆跡は、物理的・心理的・社会的トラウマとして残り、苦しみ耐え続けてしまうだろう)」と記載されており、ニュージーランドでも原爆投下の悲劇が記されています。

また戦後、ニュージーランド政府は日本に駐留するイギリス連邦占領軍を増強するために軍を日本に派遣しました。約4,000人ほどのニュージーランド兵が山口県に駐留をし、非武装化、復興、治安維持をしました。

日本で第二次世界大戦を学んだり見聞きする際に、ニュージーランドとの関係性は滅多に触れませんが、ニュージーランドという1つの国に焦点を当てて「戦時中に何があったのか?」を調べると、今まで知らなかった多くの事実が浮かび上がります。ニュージーランドだけでなく他の国々にも焦点を当ててみると、また違った視点で歴史を振り返ることになるでしょう。

記者プロフィール

Rikuto

Rikuto

25年7月からワーホリをしているRikuです!前職で、会社の広報用記事の作成を行っていたため、そのスキルを活かし、現在Webライターや英会話講師をしています!ご興味のある方は下記リンクをご覧ください!
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